認知症の症状らしい症状が目につきだした義母のこと
ここ二週間ほどは、比較的おちついていた義母。
けれども今日は、いかにも認知症らしい症状が。。
まず、デイサービスから帰宅後。
私が荷物をデイの職員さんから受けとって運んだり義母の部屋の電気をつけたりしていると
👵🏼「ありがとね、おねえちゃん」
おねえちゃん⁈
今までは、名前で〇〇さん、と呼ばれていたのに。
おねえちゃんとは、姉ではなく、一般的な若めな女性という認識で、たとえばデイの職員さんなんかにも言っていると思われますが。
私に対しては、初めてでした。
名前が思い出せないというより、身の回りの世話をしてくれる人としか思わなかった感じです。
次に。
夕食後。
「いただきました」と言って、車椅子で食卓から離れ、洗面所へ行きました。入れ歯を外します。
洗面所から自分の部屋に戻りかけたものの、途中で止まってしまい、方向をかえて又食卓の方にやって来ます。
「もうご飯、食べた?」。
食べたよと言ってやると、「なんだか変になっちゃったなあ」と言いながらも、ベッドへ。
ところが、30分もすると又出てきて、「歯を磨きに行く」と。
入れ歯も口にないので、そう言って、「もう寝るんだよ」と、再びベッドへ入れてやり、布団をかけてやりました。
その後、10分もしないで又部屋を出てきます。
食事をしたのにもかかわらず、食べたのか?と聞いてきたことは、今までにもごくタマにあります。
けれども、何かやり残したようで落ちつかない様子で二度、三度とベッドから出てくるということは、初めてでした。
いつも、ベッドに入れば、すぐに眠ってしまっていたのです。
この時点で、ずっと処方されたまま使っていなかった睡眠薬のお世話になりました。
そのままにしていたら、まだベッドから出てくるコトが続いたのか?どうだろうと思います。
今朝までは、自分で曜日を聞いて、二か所通っているデイサービスのどちらに行くのか自分でわかって、頭がスッキリしているのだろうなあと思っていました。
自分でできることも極ゴク限られているので、変化と言っても大きなものではないのですが、あゝ今日は、ボーッとしてるな、とか、意外とハッキリしてるよねというときがあります。
そして、ボーっとしたり、自分から動かなかったり、今日のような混乱した様子が急に増えて、またしばらくは続くのでしょう。
その後は、やっぱり又スッキリした期間があるのか少しは戻ってくるのか、どうでしょう?
あるとき急に症状が目につく。
けれども、それでどんどん悪い方向へ行くわけでもないようです。
しばらく足ぶみした状態でいて、又次のコトができなかったりする。
そして全体としては、だんだんと症状がさらに重くなっている、そんなふうです。
きっと、認知症とはそんなものなのかと思います。
義母に残された機能は、食べるコト。
お箸とスプーン両方で、食べています。
コレもいつか、手を取ってやらないと、それとも口へ運んでやらないと、食べないようになってしまうのでしょうか?
介護していて辛いこと
とにかく大変だし、手はかかるし、言うこと聞かないし、やる事多くて、っていうことは、もちろんあります。
でも、食事の世話や洗濯物、ようするに生活のほぼ全てを受けおってやっている、子ども、おむつの世話まであるのなら赤ちゃんが相手なら、それほど辛くないこともあるはずです。
もちろん、状況や人によってではありますが。
年寄りは、我がやの義母はそうですが、
まず、臭う。ずいぶん対策をとって、洗濯も気をつけてやっていても。
そしてため息をつく。
ご飯を食べても、あゝ美味しいという感じがなくて、「ハアーーア」とか言っちゃう。
ため息が、あふれてる。
動くのもなんかシンドいとか、そういうこともあるのかもしれない。
そういうの、コッチの気持ちも削がれる。
いくら介護だからっていっても、こういうのホイホイうけ流すっていうような感覚を持ちあわせていない。
介護する相手の尊厳とか、年長者への感謝とか持てるものではないです。
そして、そのような老人とか、高齢者といった者に、自分ももう直ぐになるであろうと思うと、堪らない。
そんなふうにならなければ良いと、若いうちは思えるかもしれません。
けれど、体のあちこちが痛いとか疲れやすくなってくると、一歩一歩介護される側に近づく気がしてしまいます。
小さな子、赤ちゃん、は、居るだけで、見るだけで、微笑ましく、ホッコリして温かい気持ちになります。
存在だけでエネルギーを与えてくれると言われるし、そうだと思います。
➕のエネルギー。
あゝ、だとしたら老人は?
こんな事は考えてたらいけないのに。しかたないことなのに。
こんな話でゴメンナサイ。
ルネサンスの女たち
何につかえて読み返すことになるのかというと、名前の多さです。
法王ダレダレと言われても、ピンとこないし、〇〇家がどこの街の支配者だったのか、父が誰と言われても、そうだったかしら?となるのは、こちらの認識不足ではあるのですが。
イタリアの歴史が、初心者にはわかりにくいところがあるのですね。
まあ、コレからだんだんと、読みすすめて行こうと思います。
この作品は、塩野七生さんの、初めての小説だということです。
歴史が面白いと思えるなら、興味深い作品です。
ただ歴史の出来事の紹介というだけでなく、その場の実況を伝えるような書き方が、より興味をそそります。
女性も男性も、主になる人物の、髪の色や目の色、体つきから服装まで描かれるので、その人に親しみがもてます。
印象深かったのが、カテリーナ・コルネールが船に乗って結婚式へと出向く光景。
ゴンドラもその頃は黒でなく、鮮やかな色彩で飾りたてられ、いっせいにオールを漕ぎ出す様子などは、映像で見ているかのようです。
この時代、女性も、男性と同じような教育を受けられる機会があったと言われてます。
しかし、女性の学生なんていうのはいなかったでしょうから、貴族の家庭で、それぞれ教育を受けられたということでしょうか。
女性の生き方、それぞれの四人の物語が語られているわけですが。
この時代の貴族の女性は、おかれた場所でどうやって生きていくのかは、性格や気性によってかなり違ってくるみたい。
とはいえ、結婚にいたるまでを、家、とか国の事情に支配されてしまうのだもの。
2話目のルクレツィア・ボルジアは、結婚を4度させられ、
4話目のカテリーナ・コルネールは、結婚はしたものの、結婚相手の元へ行くのに4年も待たされ。
切りひらいていかねばならなかったり、戦っていかねばならなかったり、守らなければならなかったり。
それも上手くいくとは限らないのですよね。
この4作のうち3作に登場するのが、チェーザレ・ボルジア。
次の作品がボルジアを主人公にしたものになったのは、まあ当然だったのでしょう。
法王というのは、興味深い存在です。
コンクラーベによって、勝ちぬいた枢機卿が法王になるわけなので、現法王が次の法王を決めることは当然できず、ましてや自分の息子や親族にその地位を継がせるというわけではありません。
法王は、その時々の勢力や内外の力のバランスを反映して決定されていきます。
キリスト教の頂点としての力をいかに強めるか、ひいては自分と親族がどれほど権力を持つことができるか、法王もとても人間的な存在として描かれています。
義母、洪水に遭う?
👵🏼
夜中になあ、おおアメがふったんな。
タニカワがあふれて、チュウオウドオリからダーッとミズがながれてきてなあ。
ベッドの下までミズびたしな。
したぎまでグッショリになっちゃって、きがえたんな。
こっちはアメがふらんかったかな?
おかしいなあ。ベッドのしたがもうグチャグチャだったんだに。
どういうわけだら??
◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️
というわけで、オムツから溢れて、たしかに大洪水。
小さな子が、夢をみて漏らしてしまうことがあるというおねしょと同じなのかしらん?
義母の言う大雨は、若いころ、結婚して何年かたち、長男が生まれた数年後に起こった台風の時の災害の状況と同じように思われます。
ただ、実際前の晩に雨が降ったということはまったく無く。
義母は、レビー小体型の認知症で、よく幻覚をみると言われています。
起きている間に幻覚をみたということは、それほど多くはありません。
庭に誰かおる、とか、ときにはクマがおるなんて言ったことも。
多くは、夜間に起こり、それも夢なのかどうか、よくわかりません。
姉妹の誰それが来たとか、親戚やひ孫が訪ねて来たりすることが多いようです。
Oさんがお塩を配って来てくれた、もらいに出ないといけないから、玄関を開けてと言われたこともあります。
来客にお茶を出さないと、ということも何回かあります。
夜中です。
誰もいないといえば、納得はしないのかもしれませんが、それほど意固地に言い張ることもなく、ヘンだなあ、と頭をふりふりベッドに戻って行きます。
ひ孫が来て、ベッドの上でぴょんぴょんしていたり、一緒に寝ていたなんていうのもありました。
遠くにいるひ孫が子どもだけで来るとか、夜中に来客があるということが、おかしなことだとは、思わないのですね。
次の朝には、忘れていることもあるし、非常にハッキリ覚えていることもあります。
「夢だったのかなあ」と自分で言って、「変な夢ばっかみて、イヤんなっちゃう」と言うこともあります。
そんな義母の言うことですから、失敗したことの言い訳で洪水説を唱えているのか、夢なのか、幻覚なのか、よくわかりません。
まあ、いろいろ混ざりあって、自分に都合の良いことを言っているのでしょう。
ただ、そんなことが幾晩か続き、夜中に着替えて又濡れて朝も着替えて、と、洗濯物もどんどん増えてきたのです。
要介護度区分変更申請をする
先日、義母の要介護度の区分変更申請をし、認定調査が行われました。
義母は、今のところ要介護度 3。
毎日デイサービスを利用し、レンタル用品も常にあり、ショートステイを利用しようとすると、支給限度額をオーバーしています。
最近の義母の様子、認知症のすすみ具合から、区分変更を申請してみてもイイのじゃないだろうかというケアマネさんのお話もあって、そのようにお願いしたのです。
義母は、要支援から始まって、何年か後に区分変更申請で要介護2に。
その後は3に認定され、また3年ほどたったところです。
市から来た介護認定の職員さんは、若い方で、初めてお会いする方でした。
高い声で、少々聞きとりづらいかと思ったのですが、さすがに本人に対しては、ゆっくりと、ハッキリ話しかけてくれました。
義母は、短期の記憶が以前から比較的しっかりしています。
こんなふうに、緊張感があって、集中して対応しなければと思うような場面では、記憶力がしっかり働くようです。
指を一本見せて、それが見えて何本と言えるかという検査がまずあります。
身体の動き具合を見たり、問診などした後に、さっきの指は何本でしたか?と聞かれるのですが、義母は正確に答えていました。
自分の名前、生年月日も、言えます。
棒読みのように、そこだけ妙にハキハキ答えます。
病院や何かの機会に聞かれることが多いので、生年月日を答えるというのは、ハッキリすり込まれているのでしょう。
季節も、答えました。
コレは、今までの認定調査で、当たっていたり、間違えていたりしています。
今日の日付。
「10月」、、、まあ、11月になったばかりだし?
「何日ですか?」と聞かれると、自分の誕生日を言ってしまいました。
その他、寝返りなど、身体の様子をみてもらい、続いて立ち上がり。
歩行器にすがるようにして立ち上がって、玄関まで移動したら、そのままデイサービスへ行くつもりになってしまって、出ていこうとします。
立った状態で片足を上げるとかなんとか、もう少し項目があったようですが、できないということで了解してもらい、本人はデイサービスへ。。
その後は家族から聞きとり。
夜間に起きてゴソゴソしていたりしますか?
それは何回くらい?と、不具合なことの頻度を聞かれます。
こちらは、一人でできる、という印象を与えすぎないように、ウソではないけれど、なんとなく加減しながら答えます。
聞かれる項目以外で、見守りが必要なことや、手間をかけている部分を伝えますが、微妙に伝え方が難しい内容もあります。
できたりできなかったりする事もあるし、ちょっと前とも様子が違ったり。
どれを言うと判定に不利になるのか有利になるのか?
数値化したり、主治医の意見を総合したり、多方面から不公平にならないよう一般化した検査なのでしょうが、ピント外れだったり、偏った質問の項目が多く思えたり。
なにかもう少し客観的でフェアな調査にはならないものかなと思います。
ちょうど新聞にも認定調査について書かれた記事がありました。
認定調査を受けて結果が出て、実際にサービスを受けられるようにるまでが、大変だと。
とくに主治医の意見書のために、受信をしなければならない、それが大変だと。
認定のための専門医というか、包括支援センター付属の医師とかがいて、必要ならばすぐに受診できたら良いというような意見があり、なるほどと思いました。
ローマの前はギリシア
中学生のころだったか、ギリシア神話に興味をもっていました。
まず星座に興味をもったら、牡牛座とかオリオン座とかカシオペア座と、ギリシア神話に関係のある星座がいっぱい。
なら、と、ギリシア神話をあれこれ読みはじめたのです。
そんなことで、ギリシアのことをなんとなく知っているような気がしていたのですね。
ところが!スパルタ、恐るべし。
身分をハッキリ3つに分けたというのは、日本の士農工商を思わせて、わからないでもないでしょう。
けれど、筆頭の、日本でいえば武士の身分になるために、生まれてすぐから判別され、優良な幼児だけを残し、7歳にもなれば男性だけの集団生活に放りこまれるという。
その他の、不足のある子どもたちは、格下の身分に堕とされ、役にたたないと判断されれば、死に追いやられるという、恐ろしさ。
その後も、ほぼ家庭生活というものもなく、おいしくない料理にも耐え、ひたすら軍事のみに従事するのだそうです。
それがスパルタの市民であり、全住人の24分の1にあたる支配者層の人々です。
よく言われる、スパルタ教育というのは、このことだったのですね。
そのようだ、と思えば、それに大きな不満もなく、諾々と強さをめざす、そんなものなのでしょうか?
そこまで徹底したというか、徹底できることに驚きます。
それに比べて、アテネは、ちょっと複雑。
何人かの政治家の手をへて、民主制に近い政治形態へと固まっていきます。
そして、アテネと同じ時代に大きくなった国が、ペルシア帝国。
国と国の関係、時代といったものが、まるでわかっていないので、塩野七生さんの本を読んで、ようやく腑に落ちるということがあります。
ギリシアとペルシア、そしてマケドニアに関しても、ほんとうに今さらながらですが、そういう配置でどういった順で事が起こっていったのか、やっと納得できた感じです。
図版、とくに地図が多いのもイイですね。
歴史ものを読むのに、地図は欠かせません。
都市の場所、軍の移動など、地図がないと、まったくわかりません。
本書、第1冊目で大きくページを割いているのが、ギリシア対ペルシアです。
その中に、ギリシアの平和のために、あらゆる場面を想定してこの闘いを行い、戦争に勝ち、なおかつ「長期にわたる安全保障の継続」へと導いた英雄たちのことが書かれています。
「権力者も普通の人もふくめた当事者全員の安全保障への努力」がいかに必要なものか、コレが歴史を知ることの、一番たいせつなことなのだなと、改めて思わされます。

